原さん

瀬戸内寂聴著『女人源氏物語』との比較

・『女人源氏物語』とは
1999年に刊行された、瀬戸内寂聴の著作。この作品では、語り手は源氏物語に登場する女性達となっている。
源氏物語の本文のストーリーに沿いつつ、女性達の言葉で創作した作品である。
今回は、上巻の「桐壺」「光君」について取り上げる。

「桐壺」
語り手は桐壺の更衣自身である。
桐壺は今まさに死の淵にいる場面で、今までの帝との思い出、数々の苦難、若君への愛情と懸念を、語っている。
本文でのエピソードも桐壺によって語られる、また、桐壺の回想として帝のセリフなども綴られている。例えば、帝の偏った寵愛ぶりを中国の玄宗皇帝に例えたエピソードは、帝のセリフとして語られている。
本文での桐壺の更衣の人物像そ のままに、話す口調は物腰柔らかで、優しい人物を思い起こさせる。
基本的には本文に忠実だが、「桐壺」の終盤でこのような文がある。
『生きているうち、どうしてもくちにできなかったお願いを最後にひとつだけ残します。若宮を、なにとぞ、東宮にお立てくださいますように。』(p30)
桐壺はこれは亡き父の切ない願望として語るが、本文ではもちろん彼女のこのような語りはない。
源氏物語では、およそ795首の歌が登場する。その最初の歌は、死期を悟った桐壺の辞世の句だった。
『かぎりとて 別るる道の 悲しきに いかまほしきは 命なりけり』(p16)
主上との別れを悟りながら、でも、私は主上様のお側で生きたいのです、と歌った。 
源氏物語の最初の歌でありながら、桐壺の更衣の最期の歌、主上との恋に生き、恋に死んだ女性の歌である。そんな女性の最期の願いが、若宮を東宮に立てることなのかどうか、解釈のわかれるところである。
「桐壺」はここで終わり、桐壺の更衣の死後、帝や若君のその後は続く「光君」で語られる。

「光君」
語り手は靫負の命婦である。
靫負の命婦とは、父・兄または夫が靫負司(衛門府)の官人である女官である。この靫負の命婦は、帝の極近くで世話をする役目で、帝自身とも懇意な仲であったと解釈される。
桐壺の更衣を失った帝の落胆ぶりはすさまじく、その様子は「『亡くなった後まで人の心を苛立たせるご寵愛ぶりだこと』など、弘徽殿女御さまなどは、相変わらず憎々しくおっしゃっているとか。」(p32)と記されている。
そんな中、帝は桐壺の更衣の里にいる若宮を恋しく思っているようだ、と語り手は言う。
語り手の靫負の命婦は、源氏物語本文で、実際に桐壺の更衣の里に遣わされた命婦である。女人源氏物語でも、本文に忠実に、桐壺の更衣の母君を訪問した際のことが記されている。
荒れ果てた邸、悲しみにくれる母君、それに合わせて、帝の悲しみにくれる様子も語られている。この命婦は帝とは懇意な仲であるが、純粋に帝を心配する気持ち、母君を労る優しい人柄が伝わるような語りである。
前章の「桐壺」でもしきりに『長恨歌』について語る場面があった。「光君」でもその場面は多く、また、今章では中国の玄宗皇帝と楊貴妃のエピソードが特に多い。
『たづねゆく まぼろしもがな つてにても 魂のありかを そこと知るべく』(p37)
帝の読んだ歌である。桐壺の更衣の魂を捜しにいく幻術師はいないものだろうか。人伝てにでも、その魂の在処を知ることができるだろうに。という意味だ。
この歌は、『長恨歌』の後半で、幻術師が亡き楊貴妃の魂と出会い、かんざしを玄宗皇帝に持ち帰ったエピソードを踏まえたものだ。母君から桐壺の更衣のかんざしを受け取った帝の哀愁が感じられる。
その後の語りでも、帝の落胆ぶりはしきりに玄宗皇帝に例えられた。夜は眠れず、食事もまともに取れず、政にも興味をなくしてしまった帝の様子だ。
「光君」では、桐壺の更衣の死から、母君との対話、母君の死、藤壺の更衣との出会いと入内までが、靫負の命婦の言葉で語られている。

・『女人源氏物語』と『源氏物語』の比較
『女人源氏物語』はいわゆる二次創作のようなものであるが、著者の瀬戸内寂聴源氏物語の深い読み込みが感じられる作品だ。
二作品を比較した際に最も目立つ違いは、登場人物の人柄である。『女人源氏物語』では、それが感じられやすい。
もちろん、源氏物語でも、桐壺の更衣の淑やかさや、靫負の命婦の優しさを歌などから感じることが出来る。『女人源氏物語』では、語り手が登場人物となっているため、より世界観を密接に感じ、感情移入がしやすいのである。非常に読みやすく、共感もしやすいので、興味を持って読むことが出来ると感じた。
しかし、源氏物語は恋愛小説であると同時に、当時の政治的な要素も含まれる。『女人源氏物語』は源氏物語の恋愛要素を追求した故の甘美さ、繊細さが感じ取られた。政治的な読みどころはほとんどないと言える。
読みやすさ、入りやすさだけならば『女人源氏物語』は良い文献になると感じたが、恋愛小説以上の解釈を求めるなら、『女人源氏物語』だけでは不足に思われた。